2012-03-12

震災から1年

3/10に行われた
トークディスカッションを
参加できなかった多くの人に
知ってもらいたく
こちらに記します。

nontroppoのボギーさん
electronics guiterの井上周一さん
TIME MARKET
が発起人となって立ち上がった
震災支援イベント「2011総決起集会」

震災から1年が
経とうとしている前日に、
この1年の活動を振り返り
今後どうしていこうか、という
トークディスカッションがありました。

震災直後に立ち上げた「総決起集会」。
自分たちができる音楽という表現、
その力で何かできないかと
その思いに賛同する各々で
同じ「総決起集会」という名のもと
イベントを立ち上げライブを行い
その収益を被災地支援募金にする、
というイベント。

この1年で集まった募金額は約100万円。
募金先は、当初話し合って悩んで決めた
日本赤十字でした。

しかし、なかなか支援金が
行きわたらない事実、
分配に時間がかかること、
どこにいつ使われているか把握できない
もどかしさ。

そして震災から半年経ったあたりから
イベントが目に見えて減り
募金額も停滞していたという事実。

自分たちのちっぽけな力。

それらを踏まえて
今後どうしていくべきかの
トークディスカッションが始まりました。

あらかじめ参加が決まっている
11人の方が議論を交わし
そこに集うみんなで一緒に聴きました。

とにかく衝撃だったのは
1Z3(いずみ)さんと
grafの店長のBBさんでした。

現地で何が必要なのか、
何をしたらいいかわからない、
という問いかけに対して
「そんなのネットでも現地の人でも
いくらでも聞けばわかる。自分で調べな。」と
怒りをこめてコメント。

1Z3さんは日々
この日本の状況を自分で調べ、
南相馬に直接支援をし、
原発反対も訴え、行動しています。

そのエネルギー、そして
その行動と体験から出ている
言葉と説得力は
ものすごい力を持っていました。

1Z3さん、口調も乱暴で
正直怖いぃぃ・・・と思ってしまいましたが
彼の意見を聞けば聞くほど
その人間の熱さ、真剣さ、を感じて
我々は強いショックを受けました。

とにかく真っ当で正論でした。

国の動きのもどかしさ、
マスコミで流される情報の真実に対する疑問、
原発という抱えきれない問題、

ディスカッションが進むにつれて
いかに現状が、被災地が、日本が、
深刻で出口が見えないかという
暗くて重い事実を突き付けられました。

震災が起きて以来、
一番ショックを受けたような気がします。
この1年の自分たちの行動など
本当に甘かった・・・

現実は途方もなく
解決できない問題があって
それらはあまりに深刻で
自分たちが何かしたところで
変わるのだろうか、という位の
絶望感。

しかし、やはりそれを知らなければ
何もできず、この大きな痛みは
日本にいるすべての人で負わなければ
いけないと思いました。

テレビや新聞などから
得られる真実の情報はほんのわずかで
それを見て安心していては愚かだ、と
気づきました。

人から出る感情、情報、
そういうものが人を突き動かすと
思いました。

正直に言って
ディスカッションでは
重く重くのしかかる現実を
突き付けられて、希望なんか見いだせるものでは
ありませんでした。

総決起の募金もどこへ届けるのがよいか
わからないままです。

けれどもそこに集った人が
なんらかのショックも受けて
改めて日本の現実を
しっかり自分で見なければと
気づいたはずで、
3時間の討論はとにかく
濃厚で深かった・・・


ボギーさんのバランス力とまとめる力
井上さんの素直な意見、
藤田さんの現地の状況リポート、
コヤナギさんの確固たる思いと提案、
佐野さんの今までの経緯と発信力、
今村さんの葛藤、
発言した人の思いのすべてが
心の琴線に触れるものでした。

支援しなければいけないこと
深刻な問題は途方もなくあるけれど
一つずつ、していくしかないんだと
とにかくそれがわかりました。

ディスカッション後
1Z3さんとBBさんの行動力が
あまりに衝撃で、直接聞きたくて
BBさん(梶原さん)に話しかけました。

そこでも本当にBBさんの情報量、
行動力、それを突き動かすもの、
そのエネルギーに触れて
確実に自分たちもなにか
突き動かされたのです。

イベント後、
我々2人はあまりに
重い気持ちになり
その夜も翌朝も「震災から1年」と映す
テレビすら見ることができませんでした。

何もできていないのに
傍観することへの
後ろめたさとつらさ。

離れたところにいて
現地に行ってもいないのに
こんな気持ちになっていいのか!
とそんな感情も湧き。

けれどもこの重たさも
総決起のトークディスカッションで
接した方々の体験談と怒りと悲しみが
運んでくれたものであることは確信。

自分たちも何らかの形で
それをまわりに伝えていきたいと
思いました。